当サイトにアクセスいただき誠にありがとうございます。
当ブログ管理人のプレデターです。
このページにアクセスしてきたあなたはおそらく私がどのような人間で、そして、どうやって成功し、今があるのか?などの知的好奇心から、私という人間がいかほどのものなのかを知りたく、クリックして頂いたかと思います。
そのため、このページでは私がどのような人間で、そして、どういった形でインターネット上で成功したのか?そして今は何をしているのか?について書かせていただこうと思いますので、エンタメの一つとしてお読みいただければと思います。
但し、私の約10年間は自分で言うのもなんですが、かなり濃くて長くなるため、また他のネットビジネスをしているということから合間の更新にさせていただきます。
連載っぽい感じで、ちょくちょく自己紹介更新させていただきますのでご理解いただければと思います。
管理人プレデターの歴史年表を公開します!
まずは、私がインターネットビジネスに出会う前から成功した流れ、そして今はどうしているのか?について年表形式で下記に掲載させていただきます。
・2011年5月、6年間勤めていた会社を退社
・2012年10月までニート
・2012年10月からアフィリエイト実践
・2012年11月アフィリエイト初報酬5万円
・2013年2月アフィリエイト月収30万円達成
・2013年12月アフィリエイト月収120万円達成
・2013年の年収640万円達成
・2014年5月アフィリエイトコンサルを開始
・2014年6月コンサル生3名のアフィリ平均月収で8万円を達成
・2014年9月にコンサル生3名のアフィリ平均月収40万円を達成
・2014年の年収が1000万円達成
・2015年6月総コンサル生が50人に達成
・2015年7月に納税額に悩まされる
・2015年の年収1500万円達成し納税額に不安と不満を抱える
・2016年1月、年収1500万円あっても使いきれないことに気付き
勉強代、経験代の名目で転売に400万円を仕入れ金として実践開始
・2016年3月の転売での利益は-8万円
・2016年7月まで売れるものと売れないものを仕分けした結果利益で50万円を獲得
・2016年8月アフィリ月収が転売実践でおろそかになり40万円まで減少
・2016年9月自分のメインビジネスはアフィリであることを再自覚し
転売は学生時代の友人をアルバイトで雇い、アフィリに専念
・2016年11月アフィリエイト、月収が100万円まで回復
・2016年の年収1000万円であったが、効率のいい経営について深く考える
・2017年1月自分なりの転売、アフィリエイト、コンサルの賢い実践を計画
・2017年3月、計画がうまく刺さりこの年の12月までの月収が120万円を維持
・2018年1月仮想通貨の存在を知り取りあえず、90万円のBTCを2枚購入
・2018年5月に大暴落し1BTCが40万円まで減少
・2018年6月投資を学ばずに取り組んだことが損の原因と気付き勉強
・2018年12月までに投資で600万円の損失
・2018年の年収は1400万円であったが600万円の損があったので実質800万円
・2019年、とあるトレーダーとの出会いからツールを使ったトレードを実践
・2019年3月、200万円の資金から月収20万円を達成
・2019年8月には資金を400万円に増やし投資で月収40万円を達成
・2019年のアフィリ、転売、投資の合計年収1600万円達成
しかし納税額にまたしても悩む
・2020年、3月にコロナの影響をもろに受け投資はマイナス
転売もアウトドア系を販売していたため売り上げが減少
アフィリエイトの報酬だけが月収200万円以上まで跳ね上がる
・2020年、9月コロナショックにも対応している投資ツールと出会う
・2020年10月、今まで販売していたアウトドア用品から
インドア用品にシフトチェンジし転売月収を70万円まで回復
・2020年1500万円だったが、投資の損失と転売の損失が
800万円ほどあったため実質700万円
・2021年1月、自分が気合を入れ過ぎていることに気付き
食べていける分だけ稼ごうと考え1日3時間でネットビジネスを実践
・2021年2月~4月150万円
・2021年5月起業したい方向けに当ブログを開設し情報発信中
↑イマココ
自分の通帳や確定申告を確認し、そして、当時のことを振り返ると、乱雑ではありますがこんな感じです。(笑)
以下より私の詳しい経歴についてお話しさせていただきます。
ブラック企業で受けた仕打ちと退社決断とは?
ちなみに私は2005年から広告を作成する、とある大企業に勤めていましたが、まさにブラック企業でした。

特に記憶に残っているのが「仕事が終わらないなら家に帰らないでこのまま仕事をしていけ」という今でいうパワハラのようなことを当時の上司に平気で言われたことですね。
けど、私は勤める以外の方法で稼ぐことを知らなかったのと独立する勇気がなかったため、5年間労働奴隷として勤めていました。
今考えると恐ろしいことなんですが、多分あのままあと2年働いていたら過労死していたでしょう・・・
しかし、私には大きな転機がありました。
それは東日本大震災という災害です。
この災害で私の勤めていた大手広告会社はTVなどのCM作成による受注が激減しました。
理由は、災害時にCMを流す企業はイメージが悪くなるということから、キャンセルまたはプロジェクトの引き延ばしが相次ぎます。
ここで私は「あ!これで多少仕事は楽になるのでは?」と思っていたらなんと、今まで溜まっていた別の仕事を任され、とてもじゃありませんが、これまでと一切変わらない労働環境でした。
当時私は、こういった仕打ちから「世間は今、こんな仕事をしている場合ではなく、助けを求めているはず」という思いが湧きだし、その気持ちに耐えられず、適当な理由を付けて2011年5月に大手広告会社を退社したんですね。
幸い、給料だけは異様に良くお金を使う暇もあまりなかったので、貯金もたんまりありましたし、なんせ、再就職だって、あの天下の広告会社に勤めていたという経歴があるんだから、余裕だろうと思い、そこから約一年半ほど、ニートをやっていました。
ニートになった後は被災地まで行き
ボランティアをしたが黒歴史を作ってしまった・・・
とはいったものの、全く何もしなかったわけではなく、その期間に、被災地に赴いて2か月ほどボランティアをしたりしました。

正直、今でも思い出しますが、災害で両親を失った孤児の兄妹のケースですね。
なんせ被災後両親を失った兄妹は、妹は毎日泣いていて、お兄ちゃんの方はずっと無表情という状態で、10年たった今でもあの光景を思い出すと切なくなります。
何とかして二人には元気になってもらいたいと思い、毎日顔を出しては、下手くそなマジックや低年齢層が笑ってしまうような不気味でキレのあるキモイ動きをし、兄妹から笑いを取ったのは、私の黒歴史です。(笑)
今は、二人とも、大きくなり、お兄ちゃんは美容師として働き妹は高校三年生と昔のボランティア仲間から聞き、コロナが落ち着いたら、是非とも会いに行きたいと思っています。
私はこのボランティアの経験で、やはり人は人によって助けられ、そして、人は人を助けるべきであると強く確信し学ばせていただきました。
ボランティアが終わった後、私は、実家の北海道に帰り、私のことを心配していた家族に顔を出しました。
北海道の給料は異常に安く地方の現実を知った中、
とある出会いが人生を大きく変えた
実家に帰ってから私はしばらく休暇を楽しもうと思い、地元をあちこち回って遊びまわったり、今まで、北海道に住んでいながらまだ行ったことのない函館や登別、帯広、旭川、知床、稚内とあちこちを車にて旅をしていました。
先ほども言いましたが、私が勤めていた会社はブラック企業ではあるものの、給料もボーナスも良く、そもそもそのお金が殆ど使えないという6年間だったため、蓄えがたんまりとあり、豪遊とまではいかないものの、今の仕事に出会うまで遊び惚けていました。
しかし、当時、震災によるネガティブな雰囲気からいわゆる「自粛ムード」ということで、飲食店などのお店に活気がなく、休暇を楽しんでいるのに、なんだかさみしい気持ちになりました。

まあ、私は広告会社に勤めていたという経験がありメディアの破壊力を知っていたため、TVなどがそういった風潮を扇動していたのを見て、その活気のなさはある程度予想していました。
実際、勤めていた会社を辞める前に社内で、社会を少し自重させ被災者の方に配慮する方針で、メディアではそういった風潮扇動するという話が出ていましたからね。
このころから私は、発信媒体をうまく使えば何かできるのでは?と思うようになっていたのですが、とはいったものの、所詮私は一介のサラリーマンをしたことしかないため、当時は独立を考えずに北海道でメディア関係の仕事に就職を検討します。
ですが、待っていたのはメディアの仕事はあるものの、その給料の低さに驚きを隠せませんでした。
私の以前勤めていた広告会社では35万円はもらえていたのですが、北海道の広告会社はなんと、20万円以下という30%以上も給与が少ないことを知り、その上、広告会社はブラックな働き方をさせられるので、とてもじゃありませんが、魅力どころか前よりも絶望を感じ、北海道での就職を断念しました。
とはいったものの、いつまでも遊び惚けているわけにはいかなかったので、いろいろと模索していたところに、私は札幌の飲食店で行われたとある懇親会に出席したことをきっかけに私の人生は大きく変化を迎えました。
その変化とは北海道からYoutubeで今も動画活動をしている、Youtubeで生計を立てていたとあるユーチューバーさんとの出会いです。(現在は登録者100万人越えのユーチューバー)
当時はユーチューバーなんて言葉もなく、話を聞いても私からすると「なんぞそれ?」だったのですが、話を聞いてい行くうちに、ネットで情報発信によりお金を稼ぐということで、これは私が前々より考えていた「発信媒体をうまく使えば何かできるのでは?」に合致していたため、可能性を感じすぐさま翌日から自分で実践してみることにしました。
とはいっても、私はユーチューバーをやったわけではありません。
ブログという媒体を使ってアフィリエイトをすることにより収益化を目指したんですね。

ここで疑問に思う方もいるかと思いますが、なぜブログだったのかというと、当時は動画も人気はあったものの、デバイスのスペックによるストリーミングデータ取得技術の低さやネット回線の問題、映像の解像度の問題などを抱えていたので、ネット媒体と言えば軽くてすぐにページ表示するブログだったんですね。
続く